Charlie Chaplin -- Modern Times




映画の前身である〈回転のぞき絵〉の一つ,ゾーエトロープがイギリスで1830年代に発明され,60年代に科学玩具として欧米で売り出されたときの宣伝文句が〈Spin the drum to see the picturemove(円筒を回転させると絵が動いて見えます)〉であった。
〈ピクチャー〉ということばも映画作品を指すことばとして生き残っている(例えば〈サイレント映画〉はsilent picture として silent movie,silent film と同義に用いられる)。
一方,フランスでは,1892年(1893年という説も)にレオンブーリーという技師が,シネマトグラフ(ギリシア語の kin^matos(動き)とgraphein(描く)の合成語)という名称を発明した連続写真の装置に与えたが,これが広く映画を意味することばになるのは,95年にリュミエール兄弟が〈シネマトグラフリュミエール〉の名で撮影機と映写機を兼ねた装置を公表し,世界で最初のスクリーンに映写する上映会を催してからである。
もう一つ映画を意味するフィルム film ということばは,皮や膜の意)からきており,ジャンジローの《フランス映画用語集
眼球のホシ,J. von スタンバーグの自伝《中国人の洗濯屋のドタバタ》によれば泡を意味することばだったという。1889年,
イーストマンコダック社が同社の開発した写真用
セルロイドリボンに〈フィルム〉の名を冠したのが
このことばと映像の結びつくきっかけとなった。さらにトマスエジソンが映画撮影用に50フィートという長いフィルム(ロールフィルム)をイーストマンに注文し,このときからこのことばは映画そのものに結びつくことにもなる。
セルロイドということばも,英語やフランス語では映画の代名詞として使われており,celluroid screen といえば〈銀幕 silver screen〉の意になる。
絵をかいた板,つまりスライドおよびそれを映写すること,映し出された絵のも意味していた。
新聞記事の中にウツシエとルビをふった〈映画〉のことばが見いだされる。
考案者,池田都楽の4代目)の幻灯器械映画製造舗の通信販売広告には幻灯器械,すなわちプロジェクターとスライドの目録が載っており,例えば〈仏教映画之部〉として《日蓮上人御一代記》とか,〈教育幻灯映画〉として《修身家庭教育》や《人身生理解剖之図》や《姙娠解剖之図》といった〈映画〉の題名が並んでいる。
記事の見出しには,〈活動写真の映画(フィルム)に現れた犯罪鼓吹熱〉という表現が使われ,映画作品を指すことばに移りつつあることがわかる。
〈活動写真〉ということばは訳語で,1896年1月31日付の《時事新報》の記事の見出しに使われたのが最初だという。
眼鏡式のキネトスコープに次いで,スクリーンに映写する活動写真シネマトグラフとバイタスコープが輸入されたのが翌97年。
シネマトグラフには自動写真とか自動幻画(幻画は略語),バイタスコープには蓄動射影といった訳語が当てられたこともあるが,結局は活動写真(あるいは活動大写真)という呼称が一般化した。
1902年に正岡子規は,その病床日記(《病牀(びようしよう)六尺》)に〈自分の見たことのないもので,一寸見たひと思ふ物〉として第1に活動写真をあげており,またほぼ同じ時期に〈活動写真〉という玩具について次のように書いている。
女形,セット撮影)1本分の製作費で,〈映画劇〉(オリジナルシナリオ,女優,出張撮影(ロケーション))2本作れると宣言し,続いて実際に《生の輝き》《深山の乙女》(ともに1918)を作ってこれを〈純映画劇〉と称したのもこの時期であった。
日本活動写真株式会社(日活),天然色活動写真株式会社(天活)などといった映画会社に対して,牧野教育映画制作所といった社名が生まれたのもこの時期である。
東京朝日新聞には〈映画界――活動禾話〉という題の欄が作られ,また関東大震災の後にできた《大震災の歌》の歌詞に〈大劇場も映画館(かつどう)も……〉とあり,このころには〈映画〉と〈カツドウ〉とが同じように気軽に使われるようになったようだ。
創刊,また翌20年には松竹キネマ,帝国キネマ,23年には東亜キネマといった映画会社が創立され,映画館の名まえにもキネマと名のつくものが次々に出た(日本の映画館は浅草の〈電気館〉
ものから出発したが,ロサンゼルスに作られた世界最初の常設館といわれる映画館も〈エレクトリックシアター The Electric Theatre〉 と呼ばれた。