せさ

淀川長治と映画

映画といえば、淀川長治、これが私のイメ−ジである。「私はかつて、嫌いな人にあったことがない」という彼の残した言葉のうちに、人間への深い思いやりを感じる。

彼は、明治42年(1909)4月10日、淀川長治は神戸市に生まれた。

家は芸者置き屋で、両親から芸者までが映画好きで、幼いころから大人たちに連れられて映画館にはよく行った。

中学生のころ、あまり映画ばかり見ていたので、「数学の勉強をしろ」と教師にしかられたが、淀川少年は、

「そんなことは今、映画館でやっている『ステラ・ダラス』を見たうえで言ってほしい」

と言った。

この言葉を聞いて、数人の教員が早速その映画を見に行き、彼の言い分に納得して、以後、学校では団体で映画を見に行くようになった。淀川少年は、作品選定の委員を命じられたということである。

神戸三中(旧制)卒業後、昭和3年(1928)、映画世界社編集部に入社。昭和7年(1932)からユナイト映画日本支社に勤務。昭和14年(1939)に東京に転勤し、宣伝畑を歩む。

戦後は、昭和23年(1948)から『映画之友』編集長を務める。昭和35年(1960)にNET(現テレビ朝日)の番組、「ララミー牧場」の解説を担当、さらに、「日曜洋画劇場」(テレビ朝日)での映画解説、「淀川長治の銀幕旅行」への原稿執筆、各地での講演など、生涯にわたって精力的な活動を展開した。

平成10年(1998)11月11日、心不全で他界した映画評論家、淀川長治の89年の生涯は、「映画の魅力を多くの人に伝える」、というこの一筋に生きた生涯であったといえよう

生涯独身で、昭和41年(1966)から死の前日まで、テレビ朝日系列の「日曜洋画劇場」の映画解説を32年間務めている。ソフトかつ情熱的な語り口で茶の間の人気者でもあった。

 

 

 

 
 
 

 

 


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